Updated: 2018-07-09 16:53
”かえる寺”として親しまれる如意輪寺は、天平年間に創建された由緒ある寺だ。住職が中国に行ったとき、「無事帰る」の願いを込めて小さなヒスイのカエルの置物を持ち帰り、境内に置いたことからカエル一色に染まる寺に。境内はカエルの置物がいたるところにあり、さまざまな”お言葉”も添えられている。同寺は花や紅葉の名所としても有名。春はしゃくなげやツツジ、夏はアジサイ、そして秋は紅葉と、季節の移り変わりを楽しめる...
Updated: 2018-07-09 16:21
遣唐使にゆかりのある三井楽町と第16次遣唐使船で唐に渡った空海が深く関わりのあることを広く紹介し、柏崎灯台や姫島を背にして建てられている空海の像と辞本涯の碑。 記念碑に刻まれた「辞本涯」の文字は,「日本の最果ての地を去る」という意味です。これは空海が書物に残した言葉。この丘に立ち、東シナ海を見つめていると、この地を最後に命がけで唐に渡った遣唐使たちの思いを感じ、胸を打たれます。 ...
Updated: 2018-07-09 14:47
1799年、外海の黒崎からの移住者にはじまる教会とされ、五島崩れでは、迫害を受ける前に福見を離れた。 1882年に最初の教会を建てたが2年後の大風で崩壊した。 その後、2代目となる現教会が、1913年に建立された。「ながさき旅ネット」より 
Updated: 2018-07-04 18:09
3代目となる現教会堂は、「頭ヶ島天主堂」と同じ鉄川与助によって設計・施工されたもの。この教会を造るために、佐世保から煉瓦が、頭ヶ島から石が船で運ばれ、眼下の奈摩湾から信徒が総出で運び上げたそうです。また、「青砂ヶ浦天主堂」といえば、美しいステンドグラスが有名です。2001年に国指定重要文化財、2010年に献堂100周年を迎えた。 引用元:「ながさき旅ネット」
Updated: 2018-07-04 18:07
禁教令の高札が撤去されて4年後の1877年に五島を任されたフレノ神父とマルマン神父は当初は慎重にかまえたが、1879年、下五島担当のマルマン神父が奥浦村大泊に常駐して、仮小聖堂を建て、堂崎に1880年に初代教会を建てた。 現教会は1908年にペルー神父が新築し、宣教の拠点とした。1977年にキリシタン資料館となった。
Updated: 2018-07-04 18:07
1925年建立の木造教会は、なくなってしまった久賀島の細石流教会(鉄川与助設計施工)とよく似た天井や花の装飾が特徴的である。水辺に教会が写る一帯の風景は、誰もが心なごむ美しい光景。
Updated: 2018-07-02 14:17
   1軒をのぞいて皆キリシタンだったという頭ヶ島。 五島崩れの時、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、迫害が終わってからこの地に戻ってきた。 頭ヶ島天主堂は、鉄川与助の設計施工によって建設され、近くの石を切り出して、1917年に完成し、2年後の1919年にコンパス司教により祝別・献堂された。「ながさき旅ネット」より 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」...
Updated: 2018-06-27 15:17
荒々しい岩山、羅漢山の中腹に位置する羅漢寺は、大化元年(645)に天竺から渡来した法道仙人が、この岩山の洞窟で修行したことが始まりとされ、日本三大五百羅漢の一つに数えられます。 羅漢寺の見どころ 五百羅漢 無漏窟と呼ばれる岩屋の中に五百羅漢が安置されています。中央に釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)が安置され、両側に約650年前に作られた様々な表情・しぐさをした五百羅漢が安置されて...
Updated: 2018-06-27 11:40
若宮稲荷神社の秋の祭りに奉納される行事で、男狐・女狐の面をつけた2人の若者が、高さ10m余りの2本の青竹の上で曲芸が行なわれる。竹は、この囃子にあわせ、一定の速度でユラリユラリと下で揺り動かされ、揺れるたびに集まった観客から歓声があがる。 引用元「ながさき旅ネット」
Updated: 2018-06-20 14:02
「古いお宮を若宮」と親しまれている若宮稲荷神社。南北朝時代、楠木正成の守護神「稲荷大神」を延宝元年(1673)に現在地に奉斎したのが始まりと伝えられている。坂本龍馬をはじめ、多くの幕末の志士が参拝したことでも有名。また、映画「解夏」のロケ地にもなりました。真っ赤な本殿に、たくさんの鳥居があります。

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