Updated: 2018-07-02 13:09
  1. 黒島天主堂
黒島天主堂は、文化・文政の頃、生月や外海から移住してきたキリシタンにはじまった。最初に常駐したマルマン神父が、基礎に特産の黒島御影石を積み、40万個のレンガを使い、1902年に祝別した荘厳な教会。「ながさき旅ネツト」より ロマネスク様式の構成、内部のリブ・ヴォールト天井は完成の域に達したと評価されており、1998年に国の重要文化財に指定された。 *「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺...
Updated: 2018-07-02 12:53
大野は、1599年の平戸領主松浦氏の弾圧で長崎に亡命したキリシタン籠手田一族にゆかりあると伝えられる地。1893年、信徒のためにド・ロ神父が設計し、私財を投じて信徒とともに石造りの教会を建てた。 1879年、外海地区に着任したド・ロ神父は、26戸の信者と力を合わせ、1893年に大野教会を完成させた。民家を思わせるような教会で、現地の石を積み上げた外壁(※)は、独特の風合いを醸し出している。ド...
Updated: 2018-07-02 12:00
1879年に潜伏キリシタンが多かった外海の出津・黒崎地区に赴任し生涯を外海に捧げたド・ロ神父が、風の強い斜面の台地に、1882年、私財を投じて建てた質実剛健な教会。神父は慈善事業にも力を入れ、出津救助院などを創設して女性の自立を促した。出津教会と旧出津救助院に加え、これらが立地する小田平(こだびら)集落一帯が世界遺産候補「出津教会堂と関連遺跡」であり、2012年には「長崎市外海の石積集落景観」とし...
Updated: 2018-07-02 11:48
キリシタンが潜伏していた崎津には、1880年から宣教師がきています。1928年から主任司祭となったハルブ神父が庄屋屋敷跡を買い取り、1934年に現教会を鉄川与助の設計・施工で建てました。正面祭壇は絵踏みをおこなわれた場所であるといいます。 1934年建てられた教会は「海の天主堂」とも呼ばれ、日本のかおり風景100選「河浦﨑津天主堂と海」、更に天草市﨑津の漁村景観が「国の重要文化的景観」にも選...
Updated: 2018-07-02 11:08
日本における教会建築の父・鉄川 与助(てつかわ よすけ)による設計で、クリーム色の外壁や水色の窓枠がかわいらしい教会。 江上は1881年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受け、教会がはじまった。1918年、50戸あまりの信徒が共同として地引網で資金をつくり、現教会を建てた。「ながさき旅ネツト」より 建物 木造平屋161.76㎡ 竣工 1918年 設計・施工 鉄川与助 奈...
Updated: 2018-06-27 11:35
TOTOは、1917年に創立されました。日本に、まだ下水道が整備されていない時代に、国民の健康で文化的な生活の実現を願い、水洗便器をはじめとする衛生陶器の製造に着手し、現在トップ企業として運営されています。創立100周年記念事業として、当ミュージアムが開設されました。
Updated: 2018-06-25 11:00
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設は、大正11年(1922)に旧日本海軍が建設したもので、無線塔、電信室を主体とした各種建造物が現存しています。 電波技術史の中で記念碑的な施設として位置付けられており、かつ日本近代化を象徴する遺構として高い評価を受けています。 2013年3月、国の重要文化財重要文化財に指定されました。
Updated: 2018-06-20 16:57
「亀山社中」は、慶応元年(1865年)薩摩藩や長崎の豪商小曽根家の援助を受けて、坂本龍馬とその同志により設立された結社です。徳川幕府の倒幕を目的とした活動を行うとともに、船の回送や運輸業、銃器のあっせんなどの商号活動も行い、「日本初の商社」といわれています。 名誉館長は、坂本龍馬に造詣が深い武田鉄矢氏が務めています。「ながさき旅ネット]より
Updated: 2018-06-18 15:08
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の言葉で有名な明治の偉人、福澤諭吉が17-19歳まで過ごした木造茅葺きの旧家(史跡)と、諭吉が勉学に励んだ庭の土蔵を公開。記念館内では、『学問のすゝめ』の版本や数多くの遺品を展示している。
Updated: 2018-06-18 11:43
小国町が世界に誇る医学者、「日本細菌学の父」と呼ばれペスト菌を発見した北里柴三郎博士の偉業を称える記念館は北里文庫、貴賓館、生家など博士の生涯と業績をしのぶ資料や写真等を展示しています。

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